2001.6.28 急性骨髄性白血病
今年は2021年と言うことはちょうど20年も経ったと言うこと?!
あの時は死ぬ思いだったけれど...
なんと。今も(今の方が?!)元気に暮らしています。
スピリチュアル的に言えば一度死にかけた人は今生でやることがあるんだって...。
きっと今、そこにつながっているんだろうと思う。
闘病中に作ったホームページもあったけれど消してしまったので
今だから書ける闘病記を書いてみようかな〜
もうだいぶ忘れかけているけれど...
印象に残った事、自分の心の動きなどを綴りたいと思っています。
それまで大きな病気にかかった事は一度もなく入院も産院で1週間くらいしかしたことがなかった。この日も2日前にはバレエのレッスンにも出席していて
普通の生活...どちらかといえば普通よりアクティブに暮らしていたのだと思う。
子供は4歳になったばかりの息子と小学校二年生の娘。
足の腿の裏側に痣ができていたのを知っていたけれど痛くはなかったので、病院に行く事は考えていなかった。
子供の予防接種の為子供達が生まれた病院に行くことがあったので、その時に痣の事を聞いてみた。
個人医院なので詳しい検査はできないから...と市立病院の紹介状を書いて次の日の予約をしてくれた。
ちょうど次の日は夫の仕事もお休みだったので一緒に行くことになった。
まず、血液検査を受けると結果が出るまでに1時間ほどかかると言うことで、病院の外で昼食を取る事にした。
食事が終わって病院に戻ると結果が出ていてすぐに呼ばれる。
後でわかったけれどその時お話をしてくれた先生は血液内科で有名な偉い先生だったみたい。
背の高くてダンディーな白髪のおじいちゃん先生。
一言めに
先生「検査の結果、白血病なんですね...」
私 「へ?」
先生「入院ですね」
私 「へ?」
あまりにも唐突だったので思考が追いつかず...。
『白血病って...よくドラマに出てくる...昔、百恵ちゃんのドラマにもあったような...』とか、
まるで他人事のようにいろんな事を思い出す。
よく考えてみたら、これって「癌告知」じゃないか...?!
死ぬの?とか考える前に
私 「どのくらいの入院ですか?」と聞いていた。
というのも、3ヶ月後に娘のバレエの発表会が控えていたから...
(これからの3ヶ月がバレエ少女の母達は舞台準備で大忙しなのだ)
その事しか考えていなかった。
先生「う〜ん。早くて6ヶ月ですね。」
私 心の中で...
『無理〜。入院なんてしてる場合じゃないんだけど?!』
その後、この先20年間ずっとお世話になる担当のT先生とのお話に変わった。
T先生は9歳年上の姉と同じ年齢の男の先生。
T先生「一度家に帰ってもいいけれど...できればこのまま入院した方が良いよ」って...
私 心の中で悩んだ...『一度帰るか〜?!でも面倒だからこのままでも良いか...?』
この時なぜか「死ぬかも?!」とか「6ヶ月家に帰れない...」とか何も頭に浮かばなくて
私 「このままで良いです...。」
とか言ってた...。
あまり考える事もなく言葉にしていた。
(もともとあまり深く考えずに喋るタイプ…)
ここからが想像もしなかった嘘みたいな日々(今だから笑える)
闘病記はつづく...。
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